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東日本大震災から10年思い入れのある地-仙台-

3月11日14時46分にいた場所は、相模大野にあるフィットネスクラブでの勤務前の更衣室でした。その日は15:00から23:00の勤務でした。

ジムでトレーニングをして、更衣室兼休憩室にいて午後からの出勤スタッフと談笑していたのを覚えています。

突然激しい揺れがあったので、すぐさまジムやスタジオ、更衣室に行きメンバーさん達を避難させました。

館内の天井の梁(デザイン)が落ちてきて、私の頭上をかすたり、屋内にある駐車場のスプリンクラーが噴射して、余震のたびに石膏が落ちてきました。

その後、営業を終了させて、スタッフはクラブで待機していました。その時、テレビの報道で流れた津波を見て大変な事になっている。仙台にいる知人や以前の職場での人達は大丈夫だろうかと心配になりました。

私が仙台にいたのは、20代の頃の転勤で約2年と、33歳の時の転勤で1年半。

私はサーフィンをやるので、休日には仙台新港や名取市の海岸、閖上海岸など海沿いによく行きましたし、松島にも行きました。たまに石巻の市場で魚を買ったりもしていました。

その場所がテレビに映っていて、津波によって信じられない光景となっていたので立ちすくんでしまいました。

はっ!と我に返って、地震後まだ余震も止まない時に仙台時代の元上司に電話をかけたました。2〜3回かけて繋がりました。その元上司は仙台市で仕事中で無事でした。

上司に「大丈夫ですか?」と聞くと

「すごく激しく揺れてびっくりしたぞ。」と。

次に上司から出た言葉は「海の方が大変なことになっているらしいんだ」ということでした。仙台では、電気が落ちていてテレビや報道の情報が入ってこないらしく、まだ津波で大変なことになっている映像を見る前の様子でした。

私はテレビを見ていたので、「津波で大変なんてもんじゃ無いですよ」と伝えました。

地震直後で電話も混雑して繋がりにくかったのに、仙台にいる元上司と連絡が取れ、元上司の声を聞くことができました。

後日、宮城にいる知人のことを色んな方面から聞きました。直接関係があった方は無事でいてくれました。ただ、親族の方の被害や家が流されたり、倒壊したり半壊したりというような被害があったことも聞きました。

私の自宅(鎌倉)も海から2.5kmの所にあります。いつ地震が来て津波が来て、災害がどのようにくるかは計り知れませんが、あの時から地域の防災意識が付いて防災訓練などの活動が行われるようになりました。

今まだ復興途中ですし、被災された方が震災前の状態に戻るようなことはありません。

東北で被災された方達の情報活動によって、防災意識を持てるようになっていることは、日本にとって意義のあることです。今後もあの時を忘れないようにしていかなければならないと思っております。

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